温かな緑茶でふう、と一息入れて場の空気が静かに緩む。先に飲み終えていた綾がおかわりを入れて戻ってきたところで、山原が席を立った。
「リョウくん」
「はーい?」
「今朝からずっと紙とにらめっこしてるようだけれど、何してるんだい」
「レポートっすね。――あ、仕事をサボってずっと座ってるとかそう意味でしたらハイ、そのハイ、えー、終わったら倍もりもり働くんでその……」
口籠もる綾はレジュメを盾に顔を隠した。
「ん? ああ他意はないから気にしないでくれたまえ。第一。生活衛生のお仕事は最近暇、良く言えばいたって平和だからね」
「同じ保健衛生部でも二階は忙しそうですもんねぇ」
「クリニックのフロアだからねえ」
いわゆる妖怪、妖精など化生の子孫で構成され、化生向けの対応に特化した半公的組織【アペニン】。その中でも生活環境の衛生管理を生業にする生活衛生課は、そもそも国家社会が大体の問題を解決してくれることから、繁忙期のない平和な職場だった。学生アルバイトからは大変人気な職場である。
「まあ平和は良いことさね」
「ですねー。おかげさまで私もバイトのしすぎで留年の憂き目にあうことなく無事大学出られました」
「かすみさーん。カワイイ後輩にかすみさんのお力を貸してくださいー」
「……はいはい。何の講義よ」
「言語情報学」
「なんでまた――」
少し離れた場所で繰り広げられる会話を、澪と澪二はお茶請けのクッキーをかじって見守る。
「おいしい」
「缶のクッキーはやっぱほろほろでいいよね」
リリリ、と事務所の電話が鳴った。
「……むーん」
一番近くに座っていた澪が目線を逡巡させたものの食べかけのクッキーを皿に戻す。
「はい。こちらアペニンです」
『――せん。ちょっと聞きたいことあってここでで――』
早口に捲し立てられた澪は、顔を一度しかめて伸ばす。
「はい。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
すかさず子機をスピーカーモードにして、テーブルの近くに物音を立てないように置いた。事務所にいた面子は受話器を取り囲むようにして息を潜めた。差し込む陽射しをさえぎるように、ブラインドを降ろし始める。
『ター、シー、ロです』
「タシロさん、ですね。ご用件は――」
『あのねぇ、さっき多摩川の脇のさー歩道通ってたんたけどぉ……』
「はい」
『こんな晴れてるのに霧すごくてぇ、よく見たらカッパいるんだなこれが』
「かっぱ……、きゅうりが大好きで?」
「背中が甲羅な?」
発せられた言葉に澪と澪二が疑問符のついた感想を漏らす。男女の双子と思えぬほど二人の声はよく似ているため、別人が喋っていることに電話主は気づかない。事務所から聞こえた疑問に一拍置いて、電話口の向こうの老年男性は何回も頷いた。声を潜めそばで聴いていたかすみが付箋型メモの隅にカッパの絵を付け足す。
『楽しく散歩やってたってのにさー。遠ぉくに全身真緑なヒトガタが小さく見えてんだ。……ありゃ間違いなくカッパだね。妖怪の相手はアペニンさんに任せときゃいいんだろ? なんとかしてくれよぉ。いやーあんなの見たらおちおち――』
間髪を入れず始まった世間話とカッパ出現事件に、生活衛生課一同は目を見合わせた。
「リョウくん」
「はーい?」
「今朝からずっと紙とにらめっこしてるようだけれど、何してるんだい」
「レポートっすね。――あ、仕事をサボってずっと座ってるとかそう意味でしたらハイ、そのハイ、えー、終わったら倍もりもり働くんでその……」
口籠もる綾はレジュメを盾に顔を隠した。
「ん? ああ他意はないから気にしないでくれたまえ。第一。生活衛生のお仕事は最近暇、良く言えばいたって平和だからね」
「同じ保健衛生部でも二階は忙しそうですもんねぇ」
「クリニックのフロアだからねえ」
いわゆる妖怪、妖精など化生の子孫で構成され、化生向けの対応に特化した半公的組織【アペニン】。その中でも生活環境の衛生管理を生業にする生活衛生課は、そもそも国家社会が大体の問題を解決してくれることから、繁忙期のない平和な職場だった。学生アルバイトからは大変人気な職場である。
「まあ平和は良いことさね」
「ですねー。おかげさまで私もバイトのしすぎで留年の憂き目にあうことなく無事大学出られました」
「かすみさーん。カワイイ後輩にかすみさんのお力を貸してくださいー」
「……はいはい。何の講義よ」
「言語情報学」
「なんでまた――」
少し離れた場所で繰り広げられる会話を、澪と澪二はお茶請けのクッキーをかじって見守る。
「おいしい」
「缶のクッキーはやっぱほろほろでいいよね」
リリリ、と事務所の電話が鳴った。
「……むーん」
一番近くに座っていた澪が目線を逡巡させたものの食べかけのクッキーを皿に戻す。
「はい。こちらアペニンです」
『――せん。ちょっと聞きたいことあってここでで――』
早口に捲し立てられた澪は、顔を一度しかめて伸ばす。
「はい。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
すかさず子機をスピーカーモードにして、テーブルの近くに物音を立てないように置いた。事務所にいた面子は受話器を取り囲むようにして息を潜めた。差し込む陽射しをさえぎるように、ブラインドを降ろし始める。
『ター、シー、ロです』
「タシロさん、ですね。ご用件は――」
『あのねぇ、さっき多摩川の脇のさー歩道通ってたんたけどぉ……』
「はい」
『こんな晴れてるのに霧すごくてぇ、よく見たらカッパいるんだなこれが』
「かっぱ……、きゅうりが大好きで?」
「背中が甲羅な?」
発せられた言葉に澪と澪二が疑問符のついた感想を漏らす。男女の双子と思えぬほど二人の声はよく似ているため、別人が喋っていることに電話主は気づかない。事務所から聞こえた疑問に一拍置いて、電話口の向こうの老年男性は何回も頷いた。声を潜めそばで聴いていたかすみが付箋型メモの隅にカッパの絵を付け足す。
『楽しく散歩やってたってのにさー。遠ぉくに全身真緑なヒトガタが小さく見えてんだ。……ありゃ間違いなくカッパだね。妖怪の相手はアペニンさんに任せときゃいいんだろ? なんとかしてくれよぉ。いやーあんなの見たらおちおち――』
間髪を入れず始まった世間話とカッパ出現事件に、生活衛生課一同は目を見合わせた。

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