多摩川にカッパ?

 二分程度双子が相槌を打ちながら聞いていた世間話が落ち着いてきたのと同時に、山原が声を出した。
「ちなみにでお伺いしたいのですが、タシロ様のご住所はどちらでしょうか」
「え? ああ、最寄りは拝島だね」
「……拝島って何市?」
「地図見た感じ昭島あきしまとか福生ふっさっぽい?」
コソコソと綾とかすみがやり取りしている声に双子は目線を向けながら、放置されているメモに【拝島寄りの川沿い】と付け足した。カッパのイラストが喋っているように吹き出しも生やす。
「では状況を整理しますと、昨日拝島付近の多摩川沿いにて一部にだけ霧のようなものが発生した。同時に対岸の河原付近で緑の影を数度見た。それがカッパの可能性がある。通常の役所では話を聞いてもらえなかったので私共で対応して欲しい、でよろしいでしょうか」
『そうです』
「ちなみに緑の影はどんな様子で動いていましたでしょうか」
『はあ? そんなの知らんよ遠くて』
「では現場付近で他に異変はありましたか? 異臭がする、空気が硬いなど」
『異変ねえ……』
「再度念のため確認ですが、数十年住んでいる中でこの現象を見るのは今回が初めて、でよろしかったですね」
『そうですはい』
「はい、承知しました。ご確認誠にありがとうございます。事態の報告のため、こちらからお電話を差し上げることもあるかと存じますので、お電話番号を控えてもよろしいでしょうか?」
『はいはい。番号はね――』
三個区切りの番号を手慣れた様子で聞き出して書きとる。流暢りゅうちょうに会話を進める山原の後ろ姿を見ている若人わこうどたちは気付けば一歩引いて固まっていた。
「……立板に水」
「スゲー」
学生アルバイト諸氏が尊敬の念をこめて目をきらめかせている。その片手には食べかけのクッキーがあった。
『――それじゃあとにかく頼んだよ! こっちにも色々あるんだから早く解決してくんな!』
軽い会釈の後、子機が充電台に戻された。
「終わったから皆こっちおいで」
山原の手招きに、再び会議スペースに湯呑みを持って集合した。
「……電話長かったね」
「すごかったね」
電話主――タシロの相手を主に担当していた澪と澪二はどこか口角から笑みが抜け落ちている。クッキーをかじって、二人の肩が大きく上下した。
「久々にピチピチの若い子と話して、気分が上がったのだろうなあ。『とにかく不思議なものを爺ちゃんはなーこの目で見たんだ』って孫に話している感覚だあれは」
「二人ともヤマハラさんが交代してくれて助かったなー」
「同じ爺の声を好き好んで聞きたくないだろう作戦が功を奏したみたいだね」
「ふーん……? ボクはヤマ爺好きだよ」
「お話するの楽しいよ?」
「はは、レイは良い子だねぇ」
山原が澪と澪二の頭を撫でつけている後ろで、レポートを諦め綾はスマートフォンをいじり倒していた。軽く眉間にシワを寄せ、ブラウザのタブを行き来させる。
「にしてもヤマハラさん、ウチに人間からのお電話なんて珍しいですね」
「ん?」
「久しぶりに奥の電話が鳴ってるの聴きましたよ」
「ああーそういやそうさなぁ」
スマートフォンをソファに落とし、綾は背もたれに体重を大きく乗せた。ボス、とクッションが反発する。
「うーん。ホントにカッパなんすかねー。カッパの名所って言えばやっぱり遠野とか上高地じゃないっすか?」
「まあ有名よね」
「農林水産にいる須賀すがさんだって、こう“山と川”って感じのところ出身のカッパ一族じゃないですか」
「カッパ自体はあっちこっちで伝説がある……のだし、奥多摩にいてもいいんじゃない?」
「まあー調べてみた感じー、多摩川沿いにもエピソードはあるかんじではあるんすよ。どっちかってーと川崎方面だけど」
「鮭みたいに遡ってきたのかしら」
「んー分かんねー! 緑色見た、しか情報ねーんだもん! SNSでなんか言ってないかなー」
綾とかすみの話を聞いていた澪二が、目線を右上に上げた。ポスターに目を移して首をひねる。
「じゃあカッパ以外だとなんだろう……なんかのイベントの着ぐるみ?」
「それとも緑色の全身スーツマンが夕方の川で一人大はしゃぎ?」
「いや全身スーツは怖い」
「でも緑色の人型を見たって情報だけで、霧だって今6月で雨降ったり晴れたりだから、どちらも全くなくもないのよねー」
「ふふ、そういや昔ふたを開けたらなんかの番組の収録だったこともあったねえ。懐かしい」
「それは近所の人に話通しておいてよ」
笑っている山原はプレートに百均菓子をドバドバと溢れるほど追加する。外はすっかり薄く橙が広がっている。椅子に腰掛けてそのまま饅頭を手に取った。
「対象の情報は同胞がくれるものよりも少ないが、少なくとも人間が気を取られるということは眉唾物か、よほど力の発露が大きいか。野生動物とも、人間とも妖怪とも取れない以上、様子見がてら一度出向くしかないだろうねえこりゃあ」
「へえ、じゃあそのタシロさんのところにまず行って現場の情報聞き込み?」
「それが残念ながら提供元からの積極的な協力は得られなさそうでね。”なんかあったら怖い。責任取れるのか”だとさ」
手のひらほどあった饅頭は、ため息を取り返すように三口で口に吸い込まれた。
「ヤマ爺、ナンカってなあに?」
「それはあれだろう。よくある【呪い】とか【祟り】とか人間の好きなやつさ」
澪の疑問に答えた山原は大きく背伸びして、肩を大きく落とす。上体を背もたれに預けてまた大きく息を吐いた。
「当たるも八卦当たらぬも八卦。今週の土日はサブちゃんも呼んで、現場付近に行くとしようか」
「休日出勤?」
「そんな急に通ります? 今日もう金曜日の夕方ですよ?」
「そこはまあ。みんなの勤怠はこっちでなんとかしておくよ。他部署の労力にされすぎるのも困ってたところだ。ついでに僕の方から『ちゃんとコッチも仕事してますよー』と喧伝しておこう」
両手をキツネの形にしてうそぶく山原の姿は、さながら子供に講演する人形師のようだった。